ヒッキーPからの視界

音楽について、VOCALOIDについて触れていきます。 あと自分の活動について。

カテゴリ: 邦楽

ディスクガイド誌などの「名盤紹介!」みたいなコーナーを読んで
1アーティスト1アルバムずつ聴いている人も多いと思うんですが、
よく思います。

それ、その名盤を半分しか楽しめてないんじゃない? 

 なぜそれが名盤と呼ばれるに至ったか、という理由には

,箸鵑任發覆ヒットした
評論家筋が諸手を挙げて熱弁した
シーン的・社会的影響力が露呈した(リアルタイムか時間差かは問わず) 

などがあると思います。
ここでよく言われるのが
「リリース時の社会背景などを調べてリアルタイム当時を想像して聴くとより理解できる〜」ということ。

・・・そんなの知ったこっちゃありません。
今となっては既にその時代ではないのですから、 
いくら自分が想像したところで、その想像したそれがその時の空気なのかは知る由もありません。 

でも、社会の歴史を学んだところで時代の空気は掴めはしないけれど、
アーティストの作品を時系列順に追うことで、
一つの”完成品”をバンと突きつけられるよりも
「アーティストが表したいものの輪郭」を知り、
その作品がアーティストにとってどういうバランスの作品なのか、という理解ができると思うのです。


例えば一番メジャーな例でいうと (つづく)

一連の事件・騒動がありましたが、
それを経てリリースされたASKAの新譜「Too many people」はそれに関係なく傑作であり、
何か書き留めるべきと思ってこのブログを動かしてみました。

CHAGE and ASKAは「SAY YES」「YAH YAH YAH」の印象だけが先行しますが、
彼らはオルタナティブ・ポップアーティストというのが僕の見解です。
彼らのコアな魅力について語るのは省きますが、
一度SAY YESやYAH YAH YAHの印象を置いておいて、
参考にして頂ければ嬉しいです。



Too many people



前作「SCRAMBLE」が自身の集大成かつメロディー・フレーズがビンビンに光った傑作であったので、
一連の出来事があり、もう諦めがついていたのですが・・・。

ここ何作かよりも更に普遍的なバンドサウンドになっていると思うのですが、
その上にグッと来るメロディーや歌唱が1曲1曲それぞれ、はっきりと違う形で乗せられています。
SCRAMBLEの傑作感が引き継がれていて、
ASKA節を感じさせながら、マンネリとは思わせない鮮度の保ち方が59歳とは思えない。
長らくASKAのアルバムに見られた、
ミステリアスな雰囲気や複雑なコード進行に関しては今回は比較的抑えめで、
SCRAMBLEのような高級感がある装飾もあんまりないけれど、
聴き手の温度を最後まで維持させる曲・歌としての練り込み、
アルバムの曲順等がSCRAMBLEと同等に徹底されているので

アレンジが派手じゃなくても、最後まで心が潤った状態で曲に込められた感情を享受できます。

柔軟な感覚で普遍的なポップ・アンセムを作り、独特の粘り強い歌唱でロックの牽引力を込めていく。
ASKAのトップミュージシャンとしての地の魅力がフル稼働されているアルバムだと思いました。




・・・。



・・・そして何より歌詞です。
僕は今までASKAの煙に巻いたような歌詞にはそこまで好感を抱いていませんでした。
(勿論好きな歌詞もありますが)

逮捕前はASKAの人格を聖人のように崇める方などもいましたが、
自分は昔も今も全然そうは思わないし、

女にだらしなさそうだとも思ってたし、のぼせあがっているようにも感じられたし、
自分の弱さや不利なことを意味深な言葉で言いくるめるのが上手い人なのかなとも思っています。
ただ、それも含めて人間臭い所が好きでもありました。

でも、今回のアルバムの歌詞は、ASKAがトップスターとしてではなく、
一人の裸の人間として自分の弱さと対峙して書いたものに感じられて、
そういった曲は「月が近づけば少しはましだろう」などこれまでも断片的に見られていたとは思うのですが、
今回はアルバム単位で「スター的高さ」を排しています。
それによって本当に様々な境遇の人の親身に寄り添っているかのような歌詞になっていて、
その部分が個人的にはこれまでで最も心に伝わってきました。

全曲好きですが、「Be Free」のか細い叫びのようなフレーズ、

「自由になりなさい 楽になりなさい 誰かにそんな風に言ってもらいたい」
「僕はいつもつまづいてばかりいるくせに 輝きばかりを求めて歩いてるくせに」

の部分から感じられるものが心に引っかかりました。
かつてこの人がこんなに愚直に弱さを見せることがあったでしょうか?
そこから前半〜中盤の曲順・流れがなし崩しに心を動かしていきます・・・。
アーティストの経緯は全く無関係だけど、syrup16gのアルバム「Syrup16g」が好きな人に勧めたい。

そんな、ブランドも、無駄なプライドも捨てて、
ただミュージシャンであるというプライドだけは堅く守り通して作ったASKAの渾身の一枚、
ぜひ、以上に述べた意味合いとしての歌詞も含めて、このアルバムを聴いてほしいと強く思いました。

心にぶっ刺さったアルバムを聴くと、
その興奮のままgoogleで検索して他の人のレビューを探してしまうんだけど、
こんなにも感銘を受けたアルバムの感想を誰も書いてなかったので書きたいと思った。


AWAKE IN A REVISITED WORLD

80年代後半から90年代前半、
アンダーグラウンドで一部からカリスマ的な熱狂を受けていたASYLUMの24年ぶりの新作。

自分がASYLUMを知ったのは10年前、ヴィジュアル系のルーツを調べるため
X/LUNA SEA以前に同様の美学を持っていたバンドをひたすら調べていた時、
カリガリを経由して初期FOOL'S MATE編集長が担っていた偏執狂バンドYBO2とトランスレコードを知り、
そこから名前を聞き、YouTubeで動画を探し、衝撃を受けた所から始まるのだけど、

まず最初に耳を引いたのがボーカルのガゼルのスーパーヴォーカリスト力。
聴き手の胸倉をつかんでくるような絶唱と、併せて耽美の原点ととれるカッコいい歌唱。
そして気味の悪いコード進行で殴りつけてくるようなプログレッシブでハードコアパンクな世界・・・。
同じ時代にカッコいいバンドは沢山あれど、
ボーカルのカリスマ性をこの練り上げられた音楽性に乗せて、
化学反応を起こしているのに徹底的にアンダーグラウンドであり続けているのが凄い。

そのASYLUMの24年ぶりの新作!!!
でも正直、バンドにブランクが空くほど、本人も老い、時代も聴く人の感覚も変わり、
当時は斬新だと思われていたことが当たり前の手法になり、
しかしその変化をバンド側がいまいち掴んでなかったりして、
バンドの再結成した後の新作を聴くと素直に楽しめないことが多いというのが経験則としてあったので、
ASYLUMの新譜も聴かずに居る方がいいのでは、と最初は思っていた。

たいへん大きな間違いだった!!!

ふと聴いてみたAmazonの試聴でそれに気付き、
急遽FOOL'S MATEのニコニコチャンネルに有料登録しASYLUMのニコ生を拝見し、
そこで行われていたスタジオライブに絶句。
慌てて10/28の新代田ワンマンライブのチケットを取り会場でCDを購入。
まずライブが映像を上回る迫力で圧倒されたけどそれはまた別の話として、


何なんだよこのアルバムは・・・!
ロックという分類をするであれば迷うことなく真ん中のロックではあって、
プログレと称する人がいればそれも抵抗無くそうですねと言えるのだけれど、
そうであること以外の判断を奪われるようなアルバムだ・・・。

「普通じゃない、繊細に練られた細部が寄り集まり、それらが骨格にくっつき、割り切れない魅力を生んでる」
と言えばいいのか、そういった正統派的なのに複雑混沌と進んでいくアルバムの雰囲気が
やがてガゼルの胸倉をつかむような歌唱とともに大きな感情を連れてくるのが本当に凄い。
この感じどこかでデジャヴがあると思ったんだけど、
(本当に誤解を恐れずに言えば)DIR EN GREYの「UROBOROS」だ。
音楽性が似てるんじゃなくて、アルバムのアティテュードが非常に似ていると思う。
形容しづらいしできないのだけれど、
その形容できないニュアンスを形にしようという意思が明確に存在している。

明らかにASYLUMのオリジナリティは揺らいでなく、味が削られることなく、むしろ研ぎ澄まされていて
しかも解散前の活動から違和感の無い形で、
かつ完全に過去のどれとも違う内容でアルバムが完成している。
それが24年ぶりの新作という形で、年齢を重ねた現在に放っているのが本当に本当に凄い。
ASYLUMが休止中もずっと現役で、新しい形についてずっと考え続けてきたことが窺える。

ASYLUMの新作。おすすめです!!!

90年代末にネットが身近になり、オリコン関連のサイトが各所で立ち上がるのを眺めていました。
また親の集まりなどで大人同士の会話にもしきりに流行J-POPの話題が上がってきておりました。
そこで思ったこと。


例えばB'zの初動(いわゆる初週の売上)が
46万から40万に減っただけでB'z終わったとか本気で思う人の多さ


例えばそれまでまるで道端の小石のように「ふーん、あっそ」という態度だった人が
オリコン10位に入った途端に神を崇めるような態度に変わること

 
例えば
カラオケで流行曲を追うことが真面目に社交術になったこと

 
例えば
ただ好きなもの(しかも取り立てて無名でもない)を聴いてて
「マイナーなの聴いてる俺かっこいいとか思ってんだろ?」とか言われる
こと
(これは今もあるんじゃないか!?)


例えば
オリコンチャートに入っているもの以外は
なんにも掘り下げない
こと


例えば
「知らない。なにそれ有名なの?」って言われること


例えば
1年前の流行曲聴いてると
「え〜まだ聴いてるの〜古〜いダサ〜い」とか言われた
こと





つまり
最新のヒットチャートについていくことが
自分のブランドアクセサリーや車を持っていること
(今となっては時代錯誤な価値観)
と同様の自分の最高にカッコいいステータスとして働いていたのです。


むかしむかし、ひょんなことでアラフォーの人と知り合って話し、好きな音楽を尋ねてみると
3代目J Soul Brothersと東方神起〜!」などと言っていたので
当時の音楽にしがみついてない(懐古厨じゃない)所がいいなと思いながら
「当時思春期とか青春時代に聴いていた音楽はどういったものを好きでしたか?」と尋ねたら
えー?全然思い出せない!わかんない!
(°□°)!?
「ぐ、globeとかどうでしょう・・・?」
そう!globe!聴いてた聴いてたあんなに最高な音楽他にない!ノーミュージックノーライフ!!
そんなにも最高だった音楽をあなたはくぁwせdrftgyふじこlp!!!!!!!!


こんな90年代的文化を最高に憎み
一方で、ここまで少年漫画的に分かりやすい構造にワクワクし、
90年代のヒットチャートを面白く見ていたわけです。
漫画で言えばドラゴンボールのスカウター遊戯王のデュエルモンスターズの攻撃力
バクマンの連載順位です。

ね?90年代のヒットチャート夢があるでしょ? 



本当は前編の売上基準に基づいて、諸アーティストの人気面を分析する、なんてことも
延々と出来るのですがキリもないので、そこは拡げませんでした。ご了承・・・。

「今の売れてる音楽」だけで音楽を語る忌々しい時代がありましたよね。
確かにイイね!J-POPのあれもこれもイイね!!って思う反面
もうホントそういうの、そういう考え方は止めてほしいって呪いながら
毎週オリコンチャートをチェックしていた時代がありました。

はっきりは言わないけれど潜在的な人気の基準っていうのがテレビで操作されていて、
それが上手く世の中の流行に反映されていたせいで
「自分は好き、人それぞれ」で済ませられない流行の窮屈さがあったと思います。

特に91〜02年頃において、

シングル
累計50万枚以上 国民的ヒット曲
初動100000枚〜 黙っててもテレビから引っ張りだこなくらいの大人気
初動50000枚〜 普通にゴールデンタイムの音楽番組に出ようと思えば自由に出られるメジャー人気
初動15000枚〜 有名だけど有名じゃない、という絶妙なやつ。
        「渋い」とか「売り出し途中」とか色々なイメージ
初動5000枚〜  地上波の深夜帯、CS、ラジオ、有線、雑誌などどこかの媒体で大きな推しや反響を持つ。
初動1500枚〜 上記の5媒体の中でも局所的一部分での反響
それ未満    人気ではない

くらいのヒエラルキーを潜在的につけられていたわけです。

人はそんな数値自体にアンテナを立てることもなく、しかし何となくの感覚でそれらを察知しながら
J-POPの流行を「音楽最高!No Music, No Life!」のニュアンスで話題にしたりしておりました。 

自分は嫌な風潮ほど楽しくリサーチしたい人間だったため、
調べて、数字の感覚を掴んで、文句を垂れる悪趣味を持っていたわけです!


思い出してなんかスゲー色々言いたいこと増えてきた!
つづく! 

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